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Author:takayou
名古屋在住の35歳男性です。ソウル、ソフトロック、ポップスの、ややマニアックな名盤を紹介します。やはり良い音楽は、CDやLPとして持っておきたいものですね。


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エレファントカシマシ その2

生活 生活
エレファントカシマシ (1990/09/01)
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1990年の4枚目。
①の「男は行く」。現代社会においては、男の役割は「行かなければならぬ、勝たなければならぬ」と役割づけられています。この社会の要請を受けて、あるべき道をあきらめて孤独の道を進もうと決心をするのです。まさに「ビルを山に見たてるために」。それでもくじけそうになるために必死で「行け」と自らを奮い立たせるように叫ぶ宮本。真実の歌は「豚に真珠だ貴様らに 聞かせる歌などなくなった」として、封印してしまうのです。かつてフランスの天才詩人、アルチュール・ランボーが「地獄の季節」で、「俺たちの行方は『聖霊』だ。俺の言葉は神託だ。嘘も偽りもない。俺には解っている、ただ、解らせようにも外道の言葉しか知らないのだ、ああ、喋るまい」と言ったように。②の「凡人」。「俺は生活を追い求む、世間に食われ命をけずり、孤高のうちに死すより 俗なる我が世間に遊ぶものよ」という言葉は、このアルバムのタイトル「生活」に結びついています。孤高なるものを捨てて俗世間に生きるという悲痛な決意。「楽しげにああ人と会い、笑い、希望は失せたが死ねぬ身の せめては余命いくばくなりやと、老爺を気取り、ふとんで涙をしぼりて 町に出、笑い、凡人ああここに有り」と、凡人として生きていこうという決心。中原中也の最晩年の名詩「春日狂想」を思い起こさせる歌詞です。真実を追い求める心に疲れ果てて、ついに世間と和解しようと決意するに至った心境です。ただ、宮本の葛藤は名曲「悲しみの果て」まで、まだ続いていくのです。④の「偶成」。諦めの境地に至った彼にも、まだ疑問は残ります。平和な俗世間においても「この生活が なぜに我らを蝕む」のでしょうか。「時の力は我が命をいつか食いつくす」という焦燥感。まだ「何か足りない」と感じる心。「ドブの夕陽を見るために」「俺は生きてきた」という悲痛な叫び。でも、これで満足していいのだろうかという思い。まだ完全と世間と和解することはできません。⑤「遁生」。「これから先は死ぬるまで 表へ出ないでくらす人」と現実から逃げたくなる弱気があらわれます。葛藤に疲れ果てた気持ちは、もうひきこもることしかできません。「お前はなぜに生きている?」と問われて、「小さき花を見るために」という弱弱しい答えしかできないのです。真実はどこにでもあると、自分に言い聞かせているかのごとくに。⑥「月の夜」。もはや自分の居場所は昼ではなく、夜にしか見出すことが出来ません。月の光が「弱くやさしき光もて 我を」包む時が至福のときなのです。⑦「晩秋の一夜」。もう彼は疲れ果て、「あわれ ああ いまだに生き残る はかなき虫の鳴き声と共に」「ひとり動かず部屋に」いるのみです。自分を虫に仮託していることは明らかです。「日々のくらしに背中をつつかれて それでも生きようか 死ぬまでは」と、死ねないから生きるしかないという人生。もう彼には「亡骸」としての自分しか残っていないのでしょうか。
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